ブログ継続がうまくいかない時に考えたこと

雑記
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ブログ環境を整えた。さあ記事を書くぞと始めるとすぐにハマってしまいました。記事の更新だけみると完全に三日坊主。成功ブロガーは継続こそが大事だといっていて、自分も継続するぞと決意したのに記事が続かない。なぜそうなるのでしょう。何か自分では気づきかぬ心の足かせがあるかも。私はそんな状態になってしまいました。脱却しなきゃ。そんな時に考えたことをまとめてみることにしました。

続かないことをググると余計にハマる

投稿が継続できない、なんてことはよくありそうな話なのでググってみると、そんな人向けの記事がとても多いですね。それだけ多くの人が同じ悩みを持っているんです。しかし、調べていくうちにどこか空しくなりました。まるで、言い訳を探しているような錯覚に陥っていくのです。続かないのは普通なんだ、そういうときもあるんだって。そうなると続かない理由を自分に言い聞かせてしまいさらに堕落してしまう。それじゃダメなんですよね。

書けない理由を探してみる

継続できない理由を探してもダメなので、書けない理由を探してみます。頼るはグーグル。読んでみると参考になるのですが、私の場合、いまいちしっくりくる記事がない。完璧主義というつもりもないですし、気取ってるつもりもない。読まれなきゃとも思ってないですし、批判が怖いわけでもない。ただ、自分なりに意味のある記事にしたいと思ってます。「それを完璧主義だといっているのだよ」と言われそうですね。うまく言えませんが、しっくりした理由とは思えないのです。

自己分析してみる

そこで、まず自己分析してみしょう。私は今サラリーマンをやってまして、社会人生活は15年くらいになります。会社員といえば、報連相(報告・連絡・相談)の世界ですね。上司・先輩からは『だから何なの?』ということを意識して報連相せよと叩き込まれてきました。まずは結論が必要という世界なのです。文章を書くときは経験から何が言いたいのかを無意識に考えてしまうクセが出てしまいます。これは、私にとっての足かせの一つですね。現にここでつまずいています。ブログ初心者向けのサイトでは、身近なことでいい、気取らずにと書かれていますし、結論がなくてもよいから書こうとしますが書けません。結論はなくてもいいと言い聞かせても、でも心のどこかで結論の代わりになる何かが必要だと思い込んでいる部分があります。例えば「今日は一日中寝て一日を無駄にした 」という文章を考えてみると「だから何なの?」「何の価値もないですよね!」、、、そして、筆が止まります。

結論が必要という心の足かせを深堀してみる。

  • 結論があるか
  • オチはあるか
  • 起承転結があって面白いか
  • 気持ちが盛り上がる内容があるか

「だから何なの?」の他にも「その話のオチは?」「どこが面白いの?」といったことを思い浮かべて筆がとまります。

これらを気にするのは、「批判を恐れるな」という助言に近いような気がします。でも批判を恐れているから書けないのかというと、そういうわけじゃない。だって現にそんなこと気にしてないけど書けないのだもの。

  • 結論・主張はどこに書かれているの?
  • どこがオチになっているの?
  • 面白いシーンはどこに書いてあるの?

批判というのは「その結論は変だよ?」とか 「それは違うだろ」とか「何が面白いの?」といったことですよね。「結論・オチ・面白いこと」といった記事の核になる部分が書いてある前提なんです。書けずに悩むのって、こういった記事の核が思いつかないからなんです。批判が怖いから書けないのではなく、批判される内容すら思いつかない、批判以前の問題なんです。この核にあたる部分とは、記事の価値に相当するかもしれませんね。価値なんて気にせず書いた方がいいという助言もあります。でも価値が全くゼロの記事を書いてよいという助言には出会ったことはないですね。例えば「今日は一日中寝て一日を無駄にした」という記事に何の価値があるのか。そんなゴミ記事はWebの世界から消えてしまえ、そう考えている人は多いことでしょう。価値ゼロはNGという考えが心の足かせになっているのです。でも、これは少し極論すぎはしないか。

価値ゼロを変える、発想の転換に挑戦

まず「結論・オチ・面白いこと」がなくても記事は書くことにしましょう。何の価値もない状態でであっても書いてもいい。そのための心の足かせを外すため、「考え方を変える」ことをやってみます。発想の転換です。

「価値がない」と思いこんでいる価値の考え方を変える。

「結論・オチ・面白いこと」がないから価値がないという考え方を変えます。そもそも世の中には読者の状況や立場によって「問題解決型」と「共感型」がいるはずです。この記事をもし読んでくれる人にも「同じ問題を解決したかった」(問題解決)とか「わかるよ」(共感)とか色んな読み方がされるんじゃないか。この「共感型」が奥が深いということなんです。これはブログ更新もせず読書してて「共感することって大事だよ」という文章に出会って気づいたんですよね。大きな気づきでした。例えば、私は「今日は一日中寝て一日を無駄にした」という文章なんて価値のない無駄な文章だと考えてました。しかし、共感型の人は「わかる、そういう日ってあるよね、後悔するんだよね。そういうときって…」とか、「疲れちゃうと一日中ねちゃうよね、疲れが取れたらいいんじゃない」とか、筆者が予想もしない角度から謎の共感で安心感を生み出すかもしれない。なんと筆者が価値もないと考えていた文章なのに、読者に「共感という価値」を生み出している可能性はある。なんかそう思い込めば、少し筆が軽くなりませんか。結論もオチも面白みもない記事でも、共感する誰かがいるかも、筆者が価値がないと感じてしまった記事にも価値があるのかもしれない。要するに考え方を変えるということですね。これだけで、だいぶ心が軽くなります。

記事を具体化して筆者にしか書けない記事にする。

更にもう一歩踏み込みます。「一般的にそうだ」とか「誰かが言ってた」というだけの文章って価値は少ないですよね。もう一つの気づきは、筆者にしか書けない情報で具体的にすると共感してもらいやすいのでは?ということです。 例えば「今日は一日中寝て一日を無駄にした」という文章は、一般的にどこにでもありそうな文章です。このままではそもそも私のブログである必要はないですよね。これに「15年以上社会人生活している筆者が、今日は一日中寝てしまい一日を無駄にした」としたらどうでしょう。なんか具体的になってきましたね。「15年以上社会人しているブロガー」にしか書けない話に狭まりました。既婚で~とか、約束すっぽかして~とか、やることなくて~とか、なんでもいいので情報を追加していきましょう。共感型の人がイメージしやすくなります。記事にこのブログでなければ書けない要素が含まれていれば、このブログでしか得られない共感を与えることができる、、、そんな可能性が増えてきました。

自分なりに整理するのも効果的

ここまで書いてみると、結論は「自分のオリジナルのことを書こう」ということなんです。他のサイトにも書かれていることなんですよね。でも少しずつ個々人で悩みの理由や考え方は違います。結論にたどり着くまでの考える順番は人それぞれですしね。自分なりに整理してみることが重要、だというです。なぜ書けないんだろうとか、どこか心理的な原因がないだろうかとか。 同じ悩みの方がいたら、 自分なりに考えてみるということで少し前に進めたらうれしいです。

まとめ

この記事では、自分が記事を書けないことについて見つめなおしてみました。ここまで書いてみると、まとめてみると以下のような感じ。私の場合は、「共感型」の人っているよね、ということが心の足かせを軽くしてくれそう。今後も記事の投稿は続くのかは楽しみです。

  • 書けない理由はググって解決できるか試す
  • ググって解決しなければ自己分析してみる
  • 共感型の人にとっては価値があるかもと考えてみる
  • 自分なりに整理してみる
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