仕事外時間で始めたブログ
働き方改革により「仕事に没頭」していた時間が減り、アフターファイブに時間ができた。
あれもこれもやりたい毎日。
できた時間にやりたかったことを詰め込む。その結果は、結局忙しい毎日。おかしい。ただ、より人生を豊かにしたいだけなのに。
もちろん、自分の都合で忙しいのだから「やめる」こともできるはず。社畜として圧迫され、正常な思考能力が奪われることとは意味が違う。
とはいえ、そんなに簡単にあきらめるのもおかしい。ここで諦めるくらいなら一生何もできない。
ブログも、やりたくて始めたこと。せっかく始めたことだ。何とかものにしたい。
ブログ終了の危機
さて、ブログはアフターファイブで始めたことの一つ。このブログ執筆だが、やはり思いのほか時間がかかる。毎日投稿ともなればその負荷は大きい。
ブログには、いくつかの記事を投稿した。ブログを立ち上げる時の話や、Googleアドセンスの話、マンション投資の話など、身近なところで書いてみたりした。
1週間に1記事くらいか。何か書けるテーマがあればという程度。ブログに記事を書き公開することを体験できればよかった。
そのような姿勢では記事の投稿ペースは徐々にへる。「ブログってこんなものかな?」という感覚でブログ終了寸前になる。
だから、定期的にブログを更新することが最初の難関だ。 定期的な更新、究極は毎日の更新だ。
毎日投稿する
毎日投稿しブログを継続するうまい方法はあるのだろうか。
私は2020年2月5日現在、深夜の日付を跨ることはあっても現在80日以上は続けている。何を工夫して続けているか。
継続のために工夫したこと、それは「毎日投稿する」ということ。
ブログに継続して毎日投稿するためには、毎日投稿する、とは、禅問答のようだが。。。80日以上のブログ投稿を継続してみてそう実感している。
「毎日投稿する」ことができなくて困っているのに「毎日投稿する」とはどういうことか。
裏返せば「毎日投稿できない自分をやめる」である。
- 毎日投稿しないから、毎日投稿にならない。
- 毎日投稿するから、毎日投稿になる。
内容が薄くてもいい、書き方が間違ってもいい、考え方がおかしくてもいい、ブログ論から外れてもいい。とにかく毎日投稿することを最優先する。
以前の私がなぜ毎日投稿できなかったか、思えば、結局は時間切れになっていた。
だから、どこに時間がかかるのかを考え余計な時間を削って「ムリヤリ毎日投稿」を実現し現在にいたっている。
どこを削るか。
- ネタがない(考える時間)
- 文章の校正(見直す時間)
- アイキャッチなど(仕上げの時間を簡素化する)
- 金銭的欲望
ネタがない(考える時間)→まずはネタ固定、考えない。
まず、ここで時間がかかる。「何を書こうかな」と考えている時間、これが最も長く、そして最も記事を諦めざるを得ない言い訳にしてしまう。「書くことがない」ということは致命的なのだ。
世に多くあるブログ論に書いてある。ネタがないなんてありえないのだと。生きている以上、あなただけの経験・体験を持っているはずだと。立派な一次情報なのだと。
だがしかし、それらの助言をもってしても、書けないものは書けない。小学校時代、作文が嫌いで、作文の宿題なんて最悪の思い出だったことを思い出す。
時が経過し、自分が子供を持ち「今日は何したの?」「それは楽しかったの?」「それを書けばいいんだよ」とか偉そうに言う自分がいる。ブーメランのように自分に突き刺さる。
『そうか、今日何したかを書けばいいのか』
そういえば、本屋にも『マイブック: 2020年の記録 (新潮文庫 ん 70-22)』という本がならんでいた。日付だけ書かれた文庫で、中身は自分で書くスタイル。自分だけの物語を紡いでいくのだ。マイブックのようなアナログでも、ブログでも同じことはできるはず。
至った結論は、ネタは決める。ネタは決まっている。そう「その日の私の物語を書く」こと。
これで「ネタがない」と悩む時間が無くなった。
文章の校正(見直す時間)→見直さない
ネタが決まれば、何となく文章は書ける。
『今日は、会社に行って、帰ってきました。以上』
見直すと、幼稚な文章に赤面し、構成がもっと膨らまないか考え、誤字脱字を直し、マシにできる気がして書き直しを始める。気づくと時間が大幅に経過し、費やした時間のわりに中身が薄い。
そもそも、なぜそんなに見直しをするのか。一般的に下記が言われている。
- 読み手のことを考えよ
- 構成を意識せよ。
- キーワードを意識せよ
などなど。上記の指摘を「納得する、私もそう思う」という認識があるから見直しをするのだ。
ここで、冷静になって考えてみた。かけた時間に見合ったメリットはあるだろうかと。今のサイトにはまだ「読み手」はいない。誰も訪問しない。しかも結局中身は薄い。薄い中身をそれっぽく化粧しているだけ。「読み手」のことを考えるこの時間は「読み手」のためになっているだろうか。
上手なお化粧ならいいが、下手な化粧はケバイだけだ。時間がもったいないから、見直すのはやめた。「毎日投稿」を優先だ。
アイキャッチなど(仕上げの時間)→適当に終わらす
アイキャッチなどは、なければないでオカシイ。最低限でいい。他にもタイトルや、メタキーワード、パーマリンクなど細かい要素はある。これらは全て適当に終わらせる。
ただし、私の場合「適当」とは?と考え始めるタチなので、下記に決めて対応した。
- タイトル = 「xxxx年〇月〇日の出来事」で固定。余裕あれば一言プラス
- アイキャッチ = CANVAというサイトでテンプレそのまま
- パーマリンク = dialy-yyyy-mm-dd で固定(日記だと割り切る)
金銭的欲望 は捨てよう
私は、収益化を考えることはやめました。収益化とはビジネスです。できる人は「ビジネスモデル」をもって臨むわけで、遊びではなく本気だ。
私のように、アフターファイブでブログ始めてみたくらいで、収益モデルまで考えるのは困難だしビジネスモデルを考えるための時間もかかります。本気の人には敵いません。この時間はいったん捨てます。
なお、ビジネスモデルがなく収入目的にブログ記事を書くというのは恐らく失敗する。「ブログで稼ぐ」なんてフレーズあるし、金額は羨ましい限りですが。
儲けのでるサイトは、明確なビジネスモデルがあるか、または詐欺まがい、のどちらか。
だから、収益化は最初から考えることじゃないと割り切ることにします。
なぜ「毎日投稿」を重視するのか。
ここまでに示したのは、あくまで「毎日投稿する」ことを習慣化させるための最初の一歩。なぜそこまでして毎日投稿するべきなのか。それは体験することで気づけることがあるから。逆に体験なくして成長はできない。成長のための「毎日投稿」という考え方だ。
まず体感から始める
私は、かつて「毎日投稿を体感したことがない人」でした。多くのブログ論を読んで、あるべき理想のブログに感化され、その結果はブログはあるのに記事を投稿しない自称ブロガーでした。
でも、それは間違いだと気付きました。
人は体験・体感したことに対して自分ゴトとしての学びを得る。これは間違いない真実。
逆に、実体験がないと理解はできても身に付かない。
上記の「毎日投稿する方法」を実践すると、きっと変な記事ができる。それでもいい。まず毎日投稿する。間違っててもいいから。
毎日投稿をしない人、例えると、道場を横目に「強くなりたいな」と思ってるだけの人。強くなりたいなら、まずは誰も教えられなくても見よう見まねで体を動かすべき。
習慣化して体に覚えさせる
まずは、書くということを、まず体にしみこませる。そのための毎日投稿。
他のサイトで「書いた記事を分析して、毎日何かを変化させよ」と見かけたことがある。超初心者の場合、今はそれ以前の状況だと気付くべき。何かを分析する以前に、比較できる型を持ち合わせてない。
間違っていてもいいから、間違っている自分の型を確立させましょう。
誰か先生がいるわけでもない状況で、力の入れ方、筋肉の使い方もわからず、いきなり正論ばかり言われても、理解はしても、実践できない。
徐々に気付きの質が変わる
さて、毎日投稿を続け、体が徐々に執筆の体感が浸透してくると何が起こるか。
気づきの質が変わってきます。最初のうちは余裕がなくて気づかなかったこと、他人事のように見えていた成功者のブログ論から得られること、の質が変わってくる。
- 自分自身で「ハッ」と気づく
- 改めてブログ論を見て「そういうことが言いたかったのか」と気づく
など、人それぞれだと思いますが。体感の上の気づきは「身に着いたスキル」となる。
私の場合、気づくのが色々と遅いのです。例えば「クロネのブログ講座」をよく見ていた私ですが、文章として理解していただけで、実践的に理解してなかったと痛感しています。
10記事、20記事で気づくべき助言も、読んではいました。しかし、60記事くらい体感してやっと「そういうことなのか」と真の理解に至る。
いまやっと私は、いまさら気づいたことをカイゼンし始めています。
例えば、毎日投稿を始めた当初は「その日に起こったこと」を「ただ羅列」していました。そこを改善し、最近ようやく「ただ羅列」はやめました。過去の自分の記事を読み返して、意味不明だったから。せめて意味不明はやめようと。
「毎日投稿を優先」での意味不明は犠牲の産物です。黒歴史です。ゴミ記事です。でもそれはいつか「反省」し「リライト」すればいい。書いたこと、読み返して恥ずかしいと体感したことが財産なのです。書かない人はこの体験ができません。
とにかく毎日投稿したことでブログを書くことに少し慣れてきました。文章書く中でも得意・不得意が見えてきました。体で例えれば、力の入れ方、筋肉の使い方がわかってきた感じです。ここまできて初めて「分析してカイゼン」ができる状態なのです。
まとめ
この記事を書いてみて、改めて、「学びを結果に変えるアウトプット大全」をパラパラと読み返す。
この本の序盤には、こう書いてある。
- インプットと成長は比例しない
- インプットはただの自己満足
- 自己成長はアウトプットの量に比例する
投稿とはアウトプット。毎日行うことで量を稼ぐことができ、自己成長を促すことにつながるのだということ。本を読んだ時には「そうですね」と思ってたことも「実感」に変わった。
まずは記事の質は考えずに毎日投稿。投稿が自己成長を促す。 私は日々成長を実感している。間違いない。 成長の実感こそがブログの継続に直結するんだ。
さて、、、当初はブログ更新の時間を更に節約したくて書き始めたはずですが。この記事、むしろものすごく時間をかけてしまった…文章を見直しを始めたら止まらなくなってしまった。見直しはほどほどに!
当サイトでは、毎日更新で心掛けてます。皆様の暇つぶし役立てばうれしいです。よければまた読んでください。Twitterもやってますので良ければフォローお願いします。
コメント